熊本・伯耆流居合 木村道場


 「居合」とは、たとえば剣道のように両者がお互いに対峙して行う「立会」に相対する呼称であり、いついかなる状況にあっても、また相手が何人であろうと、どのような攻撃を仕掛けてこようとも素早く、臨機応変にこれに対処し、機先を制して相手を倒す抜刀法のことをいいます。
 ただ、むやみに刀を抜くのではなく、刀を抜かずに済ませることを最上の策とし、これを居合では「鞘の内」と称します。やむなく相手が攻撃してきた場合は、常に先手を取って確実に敵を仕留める━、これを居合では「後の先(ゴノセン)」と表現しています。
 「居」とは、自分の体のある「場」を意味し、座っている時でも、立っている時でも、また歩いている時でもそれが「居」であり、自分の存在する状態そのものを表しています。
 「合」とは、敵の攻撃に対し即座に対応し、相手よりも一瞬早く抜き合わせることを意味しています。
 「道」とは、道の中にあり道を学ぶものを意味し、武道の精神を学ぶことによってより高い人格の形成を目指す道のことを意味しています。
 居合いの元祖というべき人物は、奥州出羽国林崎村(現・山形県村山市楯岡町)の住人、【林崎甚助重信】その人であります。居合いの歴史は永禄4年(1561)から始まっているようですが、永禄4年といえば戦国時代の始まりであり、甲斐の武将・武田信玄と越後の上杉謙信が激突した<川中島の戦い>もこの年に起こりました。ちなみに前年の永禄3年には尾張の織田信長が、<桶狭間>で今川義元の軍勢を撃破しています。

 甚助が武術の修業に励んでいたある日、修業の度に祈願のため参拝していた<林崎神社>で神のお告げを受け、<居合い抜刀術>を編み出したといわれます。「神夢想流」、「林崎流」、「重信流」などと呼ばれ、これが元祖とされます。
 甚助はその後、林崎甚助重信と名乗り全国に「抜刀術」を広め、戦国時代の幕開けと相まってさまざまな流派に分かれ相伝されていきました。徳川の世に移っても、家康に召された田宮平兵衛重正によって継承され、その業は秀忠・家光まで伝授されたと伝えられます。
居合道修行の目的
 居合を修行することによって心身を鍛錬し、人格の向上に努め、社会に貢献できるような人間を目指す
 ことにある。そのためには、
 @居合を正しく学び、その技法を修業し、質実剛健の気風を養い、健康な身体をつくること。
 A武道の本質をよく理解し、良き師・先輩について精神的教養を身に付け、人間形成に努めること。

                                (熊本県剣道連盟居合道部会)